気配りという言葉がある。
ご承知のごとく周りに気を配る(使う)という意味。
気を使い、遣うからのであるからこそ心も身体も疲れてしまうのである。
であるからして、この「気を使う」という言葉が嫌いなのだ。
では、どう言い換えるのが適切であるのか。
気を配るの「り」を取ってみる。
すると「気配り」から「気配(けはい)」となって
気配を感じることと言い換えることが出来る。
「気を配る(気を使う)」から「気配を感じる」。
人と対峙するときも、会議で対話するときも、相手が何を求めているかを気配で感じる。
建築を想像する過程でクライアントが声として言い表せない要望や要求を
その気配を感じて読み解くのが大事といえよう。
かれこれ20年以上も親交のある尊敬する先輩でもあり同志でもある
工務店の社長との建築談義。
久しぶりのサシ呑みはイタリアンからスタートしました。
ビールから始まりワインまでグラスを傾け、会話が途切れることがなく
そして堰を切ったように止めどなく建築への情熱が溢れる。
18時半に始まり、2次会を21時予約していたのに
気が付けば時計の針が差す時間が22時。
飲んで歌って笑って時計を見れば午前1時半。
そして、そのまま帰れば良いのであるが
〆はラーメンを食べるのでして、、、
満腹満喫でニコニコしたまま熟睡した朝は
い、胃がもたれてるのでした。
人生は短く、そして今はもう若くも無くなってきた秋の夜。
店長オススメの料理は美味しくて
建築への情熱が一段とメラメラ燃える二人の前途は洋々であるのだ。